『ラヴ上等』を見ていて、心に深く刻まれるのは「強がり」という感情の揺れです。
怒っているような口調、突き放すような言葉、余裕があるふりをした態度。
一見すると強くて、自信があるようにも見えます。
でも、その裏側を紐解いていくと、そこにあるのは「余裕」などではありません。
強がりは「恋が軽い人」には出てこない
『ラヴ上等』に漂う強がりは、単なるカッコつけでも、打算的な駆け引きでもありません。
- 「嫌われたくない」
- 「軽く見られたくない」
- 「本気だと知られたら、傷つくのが怖い」
そんな切実な不安を抱えながら、それでも恋を止められない人の「必死の防衛反応」です。
もし本気でなければ、もっと雑に扱えるはず。もっと適当に、スマートに距離を取れるはず。それができないからこそ、言葉が尖り、態度が不器用になってしまう。 作中の強がりは、自分の心を守ろうとする、あまりに人間らしい生存本能に近いのです。
強がるほど実は誰よりも脆くて弱い
強い言葉を使う人ほど、内側は驚くほど繊細です。
- 「自分だけが好きなんじゃないか?」
- 「相手の気持ちは、本当に自分と同じ?」
- 「この幸せは、いつまで続くの?」
そんな剥き出しの不安をそのまま差し出すのが怖くて、つい先に強く出てしまう。
『ラヴ上等』は、この「弱さを隠しながら恋をする姿」を、美化せずに映し出します。
だから私たちは、見ていて「分かってしまう」のです。 あの強気な態度は自信の表れではなく、震える心を隠すための防壁なのだと。
大人の強がりは痛みを隠すのが上手すぎる
若い頃の強がりは、どこか幼くて分かりやすいものでした。 けれど大人になると、私たちは感情を隠す術を覚えてしまいます。
- 何があっても平気なふり
- 相手を追わない、余裕のある態度
- 最初から期待していなかったような言い回し
そうやって、傷つかないために「上手」に振る舞おうとします。 けれど『ラヴ上等』の登場人物たちは、その「上手さ」を脱ぎ捨ててしまう瞬間があります。
感情が溢れ、失敗し、誤解を生む。 その不器用でみっともない姿こそが、かつて私たちが「誰かを心から好きだった頃」の感覚を呼び覚ますのです。
その不器用さは「大事にしたい」という祈り
強がる人は、恋を軽く扱えない人です。
「好き」という言葉を安売りできない。簡単に距離を縮められない。本音を出すのに、気の遠くなるような時間がかかる。 だからこそ、言葉を間違えるし、態度は極端になります。
『ラヴ上等』が時折、見ていて苦しくなるのは、その強がりが嘘ではないと分かるから。 「絶対に失いたくない」という強い想いがあるからこそ、人は正解を選べなくなるのです。
最後に:強がりを「本気の証」として抱きしめる
この作品は、強がりを「直すべき悪い癖」としては描きません。 むしろ、こう伝えてくれている気がします。
- 強がりは、弱さの裏返しであること
- 弱さは、それだけ本気である証拠だということ
- 不器用でも、気持ちは本物であること
恋がうまくいかなかった過去も、素直になれなかった自分も、全部間違いではありませんでした。『ラヴ上等』は、そんな私たちの過去さえも、静かに肯定してくれます。
強がって放ってしまった、あの言葉。 素直になれなかった、あの瞬間。
もし今、あなたがその自分を「不器用だったな」と振り返れるなら、それはあなたが以前より少しだけ、自分の心に優しくなれた証拠です。
無理に強がりを捨てようとしなくて大丈夫。 ただ、「強がってしまうほど、私はあの人を大切に想っているんだな」。 その事実だけを、まずは自分で抱きしめてあげてください。
あなたのその不器用な恋心は、他の誰にも真似できない、とても純粋で本物なのだから。