『ラヴ上等』を見ていると、ふとした瞬間に「距離を取る」描写が何度も現れます。
昨日まであんなに近かったのに、急に態度がよそよそしくなる。一歩引いた場所から、様子をうかがうように相手を見る。
その様子は、ときに冷たくも見えるかもしれません。 でも、本当にそうでしょうか。
距離を取る=「冷めたい」ではない
恋愛において距離を置く行動は、よく「もう好きじゃない」というサインだと思われがちです。
けれど『ラヴ上等』を注意深く見ていると、その多くが真逆であることに気づかされます。
- 気持ちが自分でも制御できないほど大きくなった
- 相手の存在が、生活の中心になりすぎてしまった
- このまま進んで、もし壊れたら……と怖くなった
そんなとき、人は無意識に心のブレーキをかけます。 距離を取るのは、気持ちを失ったからではなく、むしろ「この気持ちを失うのが怖すぎるから」こその防衛反応なのです。
近づくほど失う恐怖は膨れ上がる
『ラヴ上等』の恋は、ときに加速し、互いの心に深く入り込みます。 だからこそ、一度近づくと、感情の振れ幅もそれだけ大きくなるものです。
- 「嫌われたら、もう立ち直れない」
- 「自分だけが本気だったら、どうしよう」
- 「信じて裏切られたら、自分を保てない」
その恐怖に耐えきれなくなったとき、人は少しだけ距離を置いて、自分の感情を落ち着かせようとします。 それは卑怯な逃げではなく、再び向き合うための「自分を守る間(ま)」なのです。
大人の恋ほど「距離」は静かに分かりにくくなる
若い頃の距離は、もっと分かりやすいものでした。 会わない、連絡を絶つ、無視をする。 でも大人になると、距離の取り方はとても静かで、巧妙になります。
- 優しいけれど、核心には踏み込まない
- 笑顔で接するけれど、見えない一線を引く
- 楽しそうに見えて、深い話をさりげなく避ける
『ラヴ上等』の中で描かれるこの静かな距離が、私たちの胸に刺さるのは、それが現実の恋と重なるからです。 離れているのに、完全には切れていない。 その曖昧な余白の中にこそ、言葉にできない本音が詰まっています。
距離を取る人は誰よりも「考えている」
何も考えていない人は、そもそも距離を取る必要さえ感じません。
- 相手を本当に幸せにできるのか
- 自分はこの関係に何を求めているのか
- 何が怖くて足踏みしているのか
距離を取る人ほど、その頭の中は驚くほど忙しく動いています。
『ラヴ上等』では、その「考えすぎてしまう心」が、言葉ではなく行動として表れます。
黙る、離れる、様子を見る。 それは無関心ではなく、今の関係を壊さないための、必死の「交通整理」なのです。
距離は向き合い直すための「余白」
「距離=終わり」と考えてしまうと、恋はひたすら苦しいものになります。
でも『ラヴ上等』は、距離が必ずしも別れを意味しないことを、何度も教えてくれます。
- 距離を置いたからこそ、自分の本当の熱量に気づく
- 一度離れたからこそ、相手の存在の大きさが分かる
- 立ち止まったからこそ、次の「近づき方」を考え直せる
距離は、関係を終わらせるための断絶ではなく、より良く向き合い直すための必要なスペースになることもあるのです。
最後に:距離を取る「弱さ」も恋の一部
この作品は、「絶対に離れないこと」だけを正解とはしません。
怖くなって、思わず距離を取ってしまうこと。
一歩が踏み出せず、立ち止まってしまうこと。
迷いながら、正解のない恋をすること。
それらすべてを、恋という愛おしい営みの中に含まれる、とても自然な心の動きとして描いています。
近づく勇気も素晴らしいですが、「怖くて離れてしまう弱さ」もまた、あなたがそれだけ本気で人を好きになった、何よりの証拠です。
もし今、あなたが誰かとの距離に悩んでいるなら、どうか自分を責めないでください。
そして、自分の心にそっと問いかけてみてほしいのです。
「それは、本当に終わりを願う距離ですか? それとも、自分の大切な宝物を守るための距離ですか?」
無理に急いで、距離を詰めようとしなくて大丈夫です。
今、あなたが保っているその距離は、いつか二人にとって一番心地よい場所を見つけるための、「心を整えるための大切な時間」なのかもしれません。
不器用な自分も、臆病な自分も、まるごと抱きしめてあげてください。
その迷いも、立ち止まってしまう時間も、すべてはあなたが誰かを想う、純粋な気持ちから生まれているのですから。